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Corb [コルブ] 一周遅れの建築と人の話

2017/09

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100618常世神社

鉢木「はちのき」 と言う演目が御能にあり、観阿弥・世阿弥の作とも伝えられる一曲で、古典芸能に興味の無い人でもこの物語の話は、知っている人も多いかと思います。

いろいろな説はありますが、この話の舞台が身近なところであったことを知ったのは、恥ずかしくも最近になってからで、あらすじをおさらいすると、一族の横領により落ちぶれた、貧しい御家人の佐野源左衛門常世のところに、大雪のため先を急ぐことも出来ず、夕暮れて困り果てた旅の僧が、一夜の宿を御貸し候えとやってきました。

一度は断るものの、今のくらしも前世の戒行拙きゆゑなりと思い、泊めることにし、その旅僧を呼び戻しました。

常世は客人に自分の身の上の話をし、夜も更けて次第に寒くなっても薪さえないことを恥ずかしながらと言って、今まで大事にしてきた盆栽の、梅、桜、松の三本を焚いてもてなし、落ちぶれてはいても鎌倉に一大事があれば、一番に馳せ参じ、合戦になれば命をかけて戦うつもりであると語りました。

翌朝に名残を惜しんで僧を見送る常世でしたが、しばらくすると鎌倉で関八州の軍勢の招集があったと知らされたため、勇んで痩せ馬にまたがり駆けつけました。

諸国の軍勢がそろったところで、千切れた具足、錆びた薙刀、痩せた馬の武者を召し出せと命じられた家来が、その姿から迷わず常世を見つけ出し、はやく前へでるように促されるがままに御前に出ると、雪の日に出会った僧こそ鎌倉幕府執権の北条時頼であり、言葉に偽りがなかったことを褒め、恩賞として元の領地を回復し、その上三本の鉢木にちなんだ名前をもつ三ヵ所をあらたに安堵されたというお話でした。

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「いざ、鎌倉」という言葉も、この話から生まれたといわれ、戦前の教科書に載っていたということで、軍国教育とも結びつけて考えられますが、戦後の世の中になっても北条時頼や、水戸光圀ら為政者のお忍び視察に限らず、古くはスサノオノミコトから、近くは山下清さんまで、廻国説話や、まれびとの話は、慎ましい生活していた日本人の信仰や死生観の大きな部分を占めていて、琴線に触れるものがあったのかと思います。

そういえば主人公の常世(ツネヨ)という字は、常世(トコヨ)とも読み、死者の国を表し、そこからやって来る「まれびと」が人々を祝福してくれると考える、民族学者の折口信夫さんの考えと主客は異なりますが符合しますね。

常世の墓は栃木県の佐野市にあり、高崎市佐野は領地を追われて後に住んだところだそうで、この神社は後世にだれかによって造られたものなのでしょう。

考えてみれば神社というものは、造ろうと思えば簡単に出来るものかとも思いましたが、今まちなかにある神社も大きな神社からの勧請で出来たものも多くあり、江戸時代にはそれを仲介する業者もいたと聞きましたから、今で言えばフランチャイズで造られたようなものでしょう、別に不思議ではないかもしれません。

日本人は古くからの神話に出てくる神様以外にも、民族信仰の神様や、人神、現人神、アイヌや琉球の神様、新興宗教の神様、外国人の神様などそれこそ多様な神様を祀り、その数も町や村の辻々にあって、それこそ八百万です。

そして、昔からさまざまな異なる文化を自分たちに差し障りのないかたちに変化させて、暮らしの一部として、自然なかたちに同化させてきた長い歴史がありますが、いまの時代の人たちには、その寛容な心と暮らしの知恵があるのかと、心配でなりません。


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