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建築のまえに

Corb [コルブ] 一周遅れの建築と人の話

2010/04

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100530 一望監視所

ジェレミ・ベンサム さんといえば「最大多数の最大幸福」という言葉で知られている功利主義者ですが、その才能は多岐に及び、刑務所の設計をしたこともご存じの方が多いと思います。

彼の考えた建物は、円形に配置された独房が多層式看守塔に面するようになっていて、巧妙なブラインドにより収容者同士は、互いを見ることが出来ないが、看守からはすべての収容者を監視することが出来るもので、パノプティコン(一望監視所)と呼ばれました。

        180px-Panopticon.jpg

この大発明は、良いことにも悪いことにも利用される可能性を持っていて、ミシェル・フーコーさんは「監獄の誕生」の中で、現代社会の権力による一方的な支配構造を可視的に表したものとしてとりあげましたし、実際に同様の考え方によって造られた刑務所も多くありました。

1980年代になるとジョージ・オーウェルさんの小説の世界が、現実に起こりうるかもしれない近未来ではなく、すでにそれが身の回りに起こっているのではないかということを危惧するいろいろな方の文章と共に、パノプティコンも取り上げられることもありました。

現代社会に暮らす人たちが、互いに不信感を抱き、お互いが他人に無関心であったり、常に匿名の存在でいたいとか、人に見られるということに過敏であったりとか、当時の心配は現実になってしまったように思えてなりません。

また一望監視の考え方は、病院建築にも応用され、その代表的な建物としてアントニン・レーモンドさんらによって設計された、聖路加国際病院の旧館をあげることが出来るでしょう。

この建物のプランは十字架のかたちをしていて、その要の位置にナースステーションが有り、一ヵ所に居ながら同じフロアーの各病棟を見渡すことが出来るようになっています。

しかし、この建物の非凡さは、そのナースステーションの奥が、ガラス張りになっていて、病院の吹き抜けになったチャペルの、質素で美しいステンドグラスに浮かぶキリスト様の像が、看護婦さんの肩越しに見えることで、病める者が看護婦さんを通して神様の姿をつねに意識出来るという一直線の関係を作り上げていることでしょう。

この建物のような、ティンパニーが鳴り響く惑星直列のような神々しい平面を見ると、プランニングの大切さをあらためて実感しますが、刑務所と病院が似たような建築のタイプというのも大変興味のある話ではないでしょうか。

もしかしたら、他にも同じ建築タイプの建物や、社会の仕組みがあるかも知れませんから、まずは身の回りのものから探してみるのも面白いと思います。
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100529 詩人と建築

高橋元吉さんは前橋市出身の詩人で、実家は本屋を経営し、白樺派の文化人との親交もあり、スピノサの研究家でもあった父親の跡を継いだ長兄の死後は書店の経営に携わりながら詩作を続け、昭和38年には高村光太郎賞を受賞しています。

元吉さんの親交は建築界にもおよび、水原徳言さんらとともに親しくしていた白井晟一さんに、自ら社長をしていた書店の設計をたのみ、それは1954年に完成しました。

県庁前のケヤキ通りに面し、レンガを基調にしたその建物は、それほど目立つ建物ではありませんでしたが、店舗の中央にあるテラゾーで出来た階段は、ゆったりと自然に人の気持ちを上の階に誘うようでした。

昔の経営者の中には、会社の運営に関する事以外にも興味を持ち、自ら芸術家であったり、また芸術に深く理解を持つ人も多くいて、ときにその人たちの審美眼は建築にも及ぶ事もあり、多くの名建築を世の中に送り出しました。

今という時代にも、建築を求める企業や個人がいて、その造りだした建物を、建築家とともに社会に問うています。

しかし、それが未来にどのような物語として人々に語り継がれ、その建築にたずさわった人たちの人生が、いかに豊かであったかということを、どこまで伝えることが出来るか、大変興味のあることです。


QVOD PETIS HIC EST MCMLIV LIBRARIVS KANKODO
「あなたの求めるものはここにあります 1954 書店 煥乎堂」

と言うブロンズの看板が、この本屋の入り口にかかげて有りました。

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100525 アナザー・プレイス

リバプール の海岸に置かれたアントニー・ゴームリーさんの作品について、先日のブログで触れましたが、その写真を手に入れる事が出来たので紹介します。

ゴームリー・リバプール

この写真では一人の人物が孤独に西の空を眺めているように見えますが、実際には海に面して約2マイルの範囲に100体の鋳像が置かれています。

リバプールは今では劇場、博物館、美術館がたくさん有って、ヨーロッパでもっとも魅力のある都市のひとつになり、2008年度ヨーロッパ文化首都に選ばれたそうです。

この町の見所は、ビートルズだけではなかったのですね。

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100524 THRESHOLD

ブルーエンジェルス は、アメリカ海軍のフライトデモンストレーションチーム、すなわちアクロバット飛行隊で、その優れた技量にファンの方も多いのではないでしょうか。

特に1970年代前半のヘビー級戦闘機F4Jファントムを使用した頃はまさに黄金期で、フィンガーチップからの離陸直後に密集ダイアモンド編隊そしてターンはまさに神業のようです。

その時代のBluesの、エアショーや海外遠征をドキュメンタリー映画にしたのが「THRESHOLD」で1975年の公開です。

Gスーツも酸素マスクも付けずに精神と肉体の限界に近づこうとする彼らには、我々が見ることの出来ない何かが見えたのかも知れません。

       ブルーエンジェルス

それに比べ、自分の仕事への姿勢にTHRESHOLDを超えようとするものがあるのか、反省ばかりの毎日です。

マニアでなければ見ないような映画ですが、私の住む町の近くの地方映画館にも来たので、少ない小遣いでしたが3回ほど見に行ったおぼえがありますが、いまだにこれを上回る飛行機映画はないと思っています。

その後、使用機材はA-4Fスカイホーク、F/A-18ホーネットに変わりましたが、とくにホーネットはファントムと同じくらいの大きさですが、なぜか小粒な感じは否めません。

この映画はYouTubeでも一部公開されていますから、興味のある方はご覧になってください。

http://www.youtube.com/watch?v=rv8XfeOmgug&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=GwkFAXrgnR4&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=lzm45r2t10g&feature=related

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100523 ダン・タイ・ソン

ショパン国際ピアノコンクールは毎回多くの注目を集め、1980年にダン・タイ・ソンさんがアジア人で初めて優勝したときには、ポゴレリッチさんが最終選考まで残らなかったことにマルタ・アルゲリッチさんが抗議して、「審査員席に座った事を恥じる」と言って帰国してしまった事もあり、よけいに世間の関心を集めることになりました。

また、彼はベトナムのハノイ出身で、ベトナム戦争によるアメリカ軍の北爆の中で幼少期を過ごしたため、時にはピアノの練習もままならず、防空壕の中で母親が作った紙に描かれた鍵盤で練習をしたという伝説のような話も伝えられています。

当時はヨーヨー・マさんがデビューした頃で、日本以外のアジアの人たちの活躍が多く見られるようになってきた時期でしたし、コンパクトディスク(CD)の発売を間近にひかえていたり、グレン・グールドさんはゴルドベルグ協奏曲を再録したりとか、クラッシック音楽界の話題がたくさんありました。

普段はあまりクラッシックのレコードを買わない私も、ダン・タイ・ソンさんのドイツグラモフォンから出たミュンヘンでのショパンコンサートのデビューアルバムを買ったほどですから。

そのジャケットにある、無表情で神経質そうで細くて小柄なダン・タイ・ソンさんが、ピアノの前に座る写真を初めて見たときに、それほどの違和感を感じなかったのは、同じ頃に岩波書店から出た、大石芳野さんの「無告の民-カンボジアの証言」という、ポル・ポト政権下の大量殺人のために心の傷の癒えないカンボジア人の姿を取材した写真集に出てくる、インドシナ半島の人たちの姿をダン・タイ・ソンさんに見たからかもしれません。

         コピー ~ 3199080647

しかし、そのレコードの中の曲は予想外のもので、特にスケルッツオ2番は、繊細と言うより鉈のような切れ味を持った演奏で、細心の注意と力強さを兼ね備えていて、とてもロマンチックな演奏だと思いました。

なぜ、ここで自分の専門外のクラッシック音楽について書いたかといえば、たとえば、建築家と呼ばれる人たちが評価する建築と、一般の専門家ではない人たちが評価する建築には大きな違いが有り、それと同様にダン・タイ・ソンさんに対する私の感想も音楽家の人から見れば、表面的な事のみの関心で正しい評価ではないと言われるかもしれないことに興味があったからです。

ウイーンの建築でもっとも人気があるのは、オットー・ワグナーさんでも、オルブリッヒさんでもなく、フンデルト・ヴァッサーさんの建物で観光名所だということです。

現代の建築でそのほかに、人気のありそうな建物で思いつくものをあげれば、バルセロナのアントニオ・ガウディさんの建築や、シドニーのヨルン・ウッツオンさんのオペラハウス、そして近頃ではバレンシアのサンティアゴ・カラトラバさんによる芸術・科学都市などでしょうか、いずれも外観にほかとは区別の出来る大きな特徴が有ることが条件のようです。

専門家の意見だから正しくて、素人の話だから聞くに値しないとはいえませんし、人は物事への理解を深めることにより、それの違いがわかるようになり、善し悪しや好みなどの嗜好も生まれてくることは、両者に言える事だと思っています。

建築の設計をする事は、その答え探しをしているようなもので、毎日が勉強ですね。

尚、ダン・タイ・ソンさんも今では恰幅もよくなり、演奏も繊細で、いかにも「ショパン弾き」になってきましたが、私としては、デビューの頃の演奏に、より魅力を感じます。




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100519 ニューヨーク天使の詩

アントニー・ゴームリーさんという人は、今、世間を賑わせているイギリスの、主に彫刻で表現をするアーティストで、ニューヨークの23丁目マジソンスクエアパークで8月15日まで「イベント・ホライズン」という、ビルの屋上に多数の等身大の彫刻を置くと言う、ゲリラ的な屋外彫刻展を行っています。

           19gormley_CA0-articleInline.jpg

それとは知らない警察官が、飛び降りるのをやめるように、説得をしていたという人騒がせな話も聞きましたが、ヴィム・ヴェンダース監督の「ベルリン天使の詩」の守護天使ダミエルでしたらともかく、30体以上の突然の人影に近くを通る人たちは大変驚いた事でしょう。

歳をとると新しいことになかなか触手が伸びなくなり、この人の作品のひとつに、リバプールの海岸に置かれたいくつかの人体像による「アナザー・プレイス」というのがあったのを、昔、何かの雑誌で見た覚えはありましたが、作った人の名前までは覚えていませんでした。

イギリスを代表する芸術家といえば、常に生と死、残酷さと言った言葉がついて回り、良きにつけ悪しきにつけ刺激的な、ダミアン・ハーストさんと、表参道ヒルズのオープニングに、インスタレーションが飾られ、その後2008年の夏に水戸芸術館で、アジア初の大規模な個展が開かれたジュリアン・オピーさんくらいしか知りませんでしたが、この人たちの常にアートで社会を揺さぶろうとする姿勢に、かえってこの国の歴史や社会の重さを感じていました。

日本でも六本木六丁目の再開発事業(六本木ヒルズ)では、村上隆さんのカワイイ「ロクロク星人」がイメージキャラクターに使われたりもしましたが、コレ今でもあるのでしょうか。

ゴームリーさんの彫刻は、日本でも箱根や直島で見ることが出来るそうですし、六本木のアジアンフィールドや越後妻有アートトリエンナーレでも、作品を見ることが出来たようですね。

なお、ジュリアン・オピーさんのホームページは、おもしろい工夫がありますから、訪ねて見るとよいと思います。        
          http://www.julianopie.com/

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100516武蔵はまだか!

巌流島で宮本武蔵を待つ佐々木小次郎が、思わず声にして言ったかはわかりませんが、同じ待つ事でも建築が立ち上がってゆき、その完成した姿を待つ事は今も昔も、洋の東西を問わず多くの人たちが楽しみにしている事のようです。

映画「三丁目の夕日」でも、東京タワーが少しづつ出来上がってゆくのを人々が楽しみにしているシーンがありましたし、最近では、634(ムサシ)メートルの東京スカイツリーが人気で、色々なホームページで建設中のタワーを公開しています。

しばらく前に、首都高の中央環状線を走っていた時に、遠くからですがこのタワーを見たときは、建築基準法で100尺(約30メートル)以上の建物が制限されていたために、高層ビルの全くなかった東京に300メートル以上もある大きな鉄骨の東京タワー見た時の驚きは、いかばかりかと思いました。

霞ヶ関ビルなどの高層ビルが建てられはじめたのは、基準法が改正された1964年以降のことで皇居の周辺や西新宿の淀橋浄水場の跡地などに高層ビル群が出来はじめ、今では都心の高層ビルも増えて、東京タワーでさえもビルに隠れてしまって、気をつけなければ見えなくなっていました。

1889年のパリ万国博覧会が開かれた頃には、写真技術も発達し、エッフェル塔が立ち上がってゆく過程を後世に残したいと言う気持ちがおこるのも当然のことで、そのエッフェル塔の建設過程の写真は、見たことのある人もいるでしょう。

       コピー ~ Construction_tour_eiffel4
        
子供が生まれると、成長の様子を他の人たちに見てもらい、そして記録として残したいと思う気持ちに似ているような気がします。

高さのある建物は周りからよく見えるので分かり易いですが、低層の建物ではどこまで工事が進んでいるのか、外から見たのではわかりませんから、まれにですが、そのような場合は工事関係者が工夫をし、仮囲いにエッフェル塔の建設過程を画くなどして、街を通る人たちに建物の完成を楽しみにしてもらおうとした現場もありました。

下の写真はプリッツカー賞の時のブログでも名前を出した槇文彦さんが設計をした、千駄ヶ谷にある東京体育館の建設当時の外苑西通り沿いに面した仮囲いの写真ですが、無粋が当たり前のような工事現場が少しおしゃれな感じになるのは、さすがに建築家の目の付けどころですね。

img328.jpg

今では多くの現場で、今後の作業工程を掲示したり、あまりおしゃれではありませんが、仮囲いに木などの自然を描いたりしているのを見かけるようになりましたが、少なくとも公共の建築は一歩進んで、その建設過程を市民に見てもらって、建物への関心だけではなく、広く行政全般にも関心をもってもらい、自らも地方自治に参加している意識を醸成することがよいかと思っています。








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100515マイ・アーキテクト

ロサンゼルス現代美術館(MOCA)が、1990年代初めに行ったルイス・I・カーンの回顧展は、その質と量の両方で、最後の巨匠と呼ばれるのにふさわしいもので、日本にもその巡回展が来ました。

当時の建築の世界ではモダニズムが行き詰まり、流行病のようにポスト・モダニズムというものに、この迷路からの出口を求めて、この言葉の定義も曖昧なまま、ポスト・モダンと言うよりもプレ・モダンのようなデザインを抱えながら、多くの人たちがこの袋小路に入って行きました。

しかし、それに気づいて引き返す時は、多くの人がそんなの知らん顔でしたが。

       ルイス・カーン

カーンの建築のかたちや素材は、時には廃墟を思い起こさせるほどに古典的に見え、現代建築の白くて、シャープで、透明な空間ではありませんでしたが、その大胆な建築の構成やそれらの細部へのこだわりは、多くの人たちに感動を与え、そしてたくさんの考える機会を私たちに与えてくれました。

MOCAは、そのような彼に20世紀の現代建築の仕切り直し役の意味も込めて、そして1974年にニューヨークのペンシルベニア駅のトイレで身元不明の「行き倒れ」として、その最後をむかえた巨匠への正当な理解のための少し遅すぎた展覧会を開きましたが、十数年経った今でもより深く理解されたとはいえず、効率優先という御題目による、ブラックボックス化した現代社会は、カーンをますます異端に追いやるような気がします。

木陰があればそこは学校になると言った古代の哲人がいたようですが、カーンにとってもあらゆるところが教室で、それは忙しい工事現場でも例外ではなく、「ルイス・カーン建築論集」という本に彼の言葉が集められています。

「マイ・アーキテクト」とは、この難解な建築家としても有名なカーンを知るためには絶好な映画の題名で、監督はナサニエル・カーンというルイス・カーンの息子ですが、法的に認められた子供ではありませんでした。

ほんの少ししか、思い出を持たない父親のことをを、ナサニエルは父が設計した建物を訪れて、たくさんの人たちに話を聞きながら和解を努めようとしていく映画で、巨匠であるカーンと、同時に大変人間くさいカーンを同時進行で物語ってゆく面白さがあり、それは人の気配のない建築写真ではなく、生身の人間がそこに写っている建築写真を見るような、建築家の体温を感じる事が出来る映画ではないかと思います。




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100509 お座敷映画

人間の脳 が一度に処理出来る情報量には、限りがあるのではないだろうかと常々思っています。

個人差は大きいかも知れませんが、ひとつの事柄に集中すると,他のことがおろそかになるということだけではなく、たとえば今見ている物に神経を集めた時に、その中心にある物は色彩を伴って見えるが、視野の周辺部はそこにあるかたちの色情報を除外し,モノクロ情報としてとらえるらしいことを何かで読んだ覚えがあります。

大量の情報から必要な情報のみを取り出して、優先順位に沿った処理を行うという脳の構造は大変不思議です。

昔、東京都内の文京区に、床の上に座布団を敷いて、座ったまま映画を見せてくれる映画館があって、入り口で料金を払い、お茶菓子のあめ玉やみかんをもらって、好きな席というより座布団の上に座り込むのでした。

こぢんまりとした館内にある小振りな映写幕には、フェリーニの「道」がこの映画館のお気に入りらしく、頻繁に上映されていたので、たまに見に行きましたが、のめり込んで見ても疲れないことや、考えながら見ても話の筋について行けるところが普通の映画館にない魅力でした。

たまに別のことを考えてしまって、映画の内容を覚えていないこともありましたが。

        ジャスミン

今の映画館のように大画面で左右に広く映像が情報としてぎっちり詰まっていて、中には3D映像もあってというのでは、少なくも自分の脳みそはついていけず、考える暇も与えない遊園地のアトラクションのようです。

ハイビジョン映像はきれいだと思うし、モノクロよりもカラーのほうがもちろん直感的にイメージをつかみやすいのは確かです。

でも昔のテレビの映画番組を録画したビデオを、14インチのブラウン管で見ても充分に感動は伝わったと思うし、映画の中の言葉はいつまでも心に残りました。

今の映画の感動が長続きしないのは、何かがそれに足りないのではなく、かえって多すぎるのではないかと思ったりしているこの頃です。

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100508 プリッツカー賞を受賞したので

鬼石町多目的ホールは2004年に、群馬県の南部の山間の町に完成した公共の施設で、ホテルオーナーのプリッツカー一族が運営するハイアット財団からの賞を、今年受賞した建築ユニットSANAAの一人の妹島和世さんが設計した建物です。

コピー ~ CA330323

このプリッツカー賞の初代受賞者は、1979年、大御所のフィリップ・ジョンソンさんで、その後しばらくは、アメリカ大陸の建築家たちが名前を連ねましたが、1990年代以降は、ヨーロッパの建築家が多くなりました。

ちなみに、去年はスイスのペーター・ズントーさんで、日本人では妹島さんは、丹下健三さんや槇文彦さん、安藤忠雄さんに続き4人目というか4回目です。

CA330327.jpg

この建物は、仮称で、「おにし屋内広場」という名称の住民参加型と銘打ち、審査委員長を鈴木了二さんがつとめたコンペで出来た施設で、この名称からも、外の広場と建物をを区切らないというアイディアは自ずと出てくるように思われますし、妹島さんが考えたことは丸柱にすることによって空間から柱を消し、パラペットをアルミパネルで細く見せることによって、建物を意識出来ないように消し去って文字通り雨に濡れない広場を作ろうとしたことかと推測されます。

そのためには、ホールや体育館は地下に埋めてしまい、出来れば管理棟のトイレなども地下に埋めたかったのではないかと思われます。

昔から建築家が設計した建物は使いずらいとか、建設費やメンテナンスに費用がかかりすぎるといったことを言われますが、おそらくそれを知ったうえでの鬼石町の判断であったと思われます。

当時の、もちろん今もですが、群馬県では林業、製材業が先細りの状態で、山林の管理もままならない状態が続き、その解決策として県が一ヵ所に、原木市場、製材施設、乾燥施設、プレカット工場、集成材工場をまとめた木材コンビナートを計画し、その建設地がこの町に決定したのが2001年のことでした。

ところがこの計画もなかなか思ったように県内の業者が手を上げず、しばらく宙に浮いた状態が続き、2005年になってやっと栃木県の木材会社が、製材工場を建設することを正式に決定するといった流れの最中に計画された建物であることを考えると、出来るだけこの町の地域材に、世間の注目を集めたいという気持ちがあったのかも知れません。

このコンペでは最初から地元の鬼石杉を利用してほしいという条件があったため、ホールと体育館の構造に杉とスチールの複合梁システムを使用したそうですが、天井を見上げただけでは、どのような構造になっているのかわからず、木材のみで構成された梁のように見えます。

        コピー ~ CA330311

ただ残念なのは、これが地元の杉であることが一般の人にどれだけ伝わっているかということですが、これは建築家の責任ではないと思います。

多目的ホールのすぐ近くには、LVL(構造用単板積層材)を使用した木質ラーメン構造の町営住宅が建っていて、構造矩体は輸入材ですが、内装材に国内産の杉を使用しています。

いずれにせよ、公共の建築は、それが出来た時代の様々な条件、又は制約の中から設計者が最良の解を導きだしたものであるといえましょうから、多数の応募の中から選ばれた、妹島さんの案は木材振興といったひとつの側面からだけではなく、それを選んだ人たちのもっと広い視点からの目に、他の案より秀でた光るものがあったのでしょう。

        コピー ~ CA330301

        コピー ~ CA330285

        CA330310.jpg

建築家を選んで建築を造るということで、それにかかわる住民達の意識は大きく変わるのではないかと思います。

普通の当たりさわりの無い建物であれば、こんなものかと思いながら空調の効き具合や階段の登り降りのしやすさを気にして利用するくらいかも知れませんが、建築家といわれる人たちが設計した建物は、ある時は心地よく、ある時は多少の不愉快さで、それにかかわる人達の気持を刺激するでしょう。

その刺激が、人々に新しいものの見方や、大げさに言えば世界観というものを示すことが出来れば、それは大変喜ばしいことだと思いますし、また公共建築だけではなく、住宅を含めたすべての建築がそうであればよいと思います。

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