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建築のまえに

Corb [コルブ] 一周遅れの建築と人の話

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101116建物の寿命

今月に入ってから 新潟県の新発田市役所に行く機会が二度ほどあって、一度目は雨の天気予報が幸いにも晴れて上天気でしたが、二度目は雷雨をともなう荒れ模様の予報通りのまるで台風が来たかように風が強く、冬も間近いと思わせる日でした。

この町は山形からの帰りにいつも通り過ぎるだけでしたが、昔から新潟県北部の中心として栄えたため、見るべきところの多い良い町です。

なかでも昔から興味をもっていたのが、建築家のアントニン・レーモンドさんの新発田カトリック教会の建物で、新発田といえばこの建物がまず頭に浮かびましたので、朝早くに到着すると一番に見に行きました。

1966年に建てられたレンガと丸太を構造体に使用した六角形の簡素な建物は手入れも行き届き、当初鉄板で葺かれていた屋根も銅板に改修されたと聞きますから、人々のこの建物に対する愛着が感じられます。

この建物の外観の特徴のひとつが窓に貼られた和紙の切り紙で、これは奥さんのノエミ・レーモンドさんがステンドグラスの代わりにと考えてデザインしたもので、軽井沢の聖ポール教会にも使用されていて、浄財で建てられた建物を少ない予算でも出来るだけ良いものにしようという考えから取り入れられたものでしょう。

レーモンドさんの建物は、私が住む町からでも、車で一時間ほど走れば「軽井沢夏の家」「聖ポール教会」「軽井沢のスタジオ」「群馬音楽センター」「井上房一郎邸」などが残っていて、中には本来の用途以外で使われるものもあり皆大事にされています。

日本の住宅の寿命は30年と言われていますが、(建物の寿命の計算方法もびっくりするような変な計算のしかたですが、これはあらためてブログでお話します。)多くの建物は構造的な寿命以外の理由で取り壊されています。

そのなかでも多い理由のひとつが「陳腐化」で、近頃の商品としての住宅が持つ宿命かもしれませんが、戦後の社会状況もありますが、今までの建物がそこに住む人に顔を向けていなかったという反省もあります。

レーモンドさんの建物を見ると、人に語りかけてくるような豊な空間を持った建物は、必ず住み継がれるということをあらためて実感しました。

又、そのような建物を残すためにも町の骨組みともいえる都市計画などのグランドデザインが、より重要になると思っています。

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100919デザインの素

新しいデザイン を創り出すことは大変な努力が必要なことで、それまでに蓄積された知識や経験そしてほんの些細と思われることから受ける発想の開花、そしてそれを形にまとめ上げる根気や他の人達との協働など、多くの困難のうえに成り立ちます。

ある人の本にデザインのお手本は出来るだけ遠くに求めることが大事であると書いてあり、それはヨーロッパの片田舎の工場であったりアフリカの砂漠の真ん中にある集落であったりと距離の遠く離れたところであったり、エーゲ海に浮かぶ島の神殿や日本の古い時代に建てられた寺院のように、時間の遠く離れた建物であったりです。

となりの町にカッコイイ建物があったからとか、建築雑誌に出ていて気に入ったからという理由ではちょっと恥ずかしいですね。

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1965年に完成したエーロ・サーリネンさんのセントルイスに建てられた「ゲートウェイアーチ」は、「西部への門」とも言われ、西部開拓を記念して1948年のコンペで優勝して造られたものです。

高さ192mのアーチには上昇するごとに角度が変わるエレベーターがあり、いちばん上は展望台にもなっています。

ところがこのモニュメント、いつの頃か元ネタが案外近くにあるものではないかと言われるようになりました。

シャープな造形、素材への充分な配慮、構造的な合理性と技術への挑戦、コンペの意図を明確に表現した芸術性は誰からも批判されることのない建造物だと皆考えていましたが、伏兵はすぐ足元にいました。






今では世界一のファストフードチェーンとなったマクドナルドの看板です。

マックのゴールデンアーチをたてに半分に切れば「ゲートウェイアーチ」にそっくりではないか、ということらしいですが確かに見れば似ていますね。

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コンペの時期からすればエーロ・サーリネンさんがマックの真似をしたことはないでしょうが、本当に独創的な建築を造っても元ネタ探しばかりで終わってしまっては、その建築への正しい評価は出来ないでしょう。

創造的な批評があってこそ未来への展望は開けます。

そうでなければ「ゲートウェイアーチ」が言われたように、今度はマクドナルドがこのモニュメントの真似をしてお店の看板を作った、と又変なことを言い出す人も出てきますから、せいぜいお茶のみ話にちょうどいいくらいの話題ですね。

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100728大切な空間

白井晟一さん は大変に逸話の多い建築家で、伝説のように又ある時は神話のように語られる事柄がたくさんあり、そのなかでも滴々居と呼ばれる自邸は、造られた初めは建物にトイレがなかったという話は建築界では有名です。

私の住んでいるところの近くにも、白井さんの代表作のひとつといえる旧松井田町役場庁舎がありますが、この建物も完成した当初は、職員と来庁者のためのトイレが2階に便器が大小ひとつずつしかありませんでした。

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当時はトイレの前にさぞかし長い行列が出来たことかと思いますが、並びながらあの白井先生の事だから、かならず何か意図があるのだろうとはさすがに考える余裕もないでしょう。

なにしろトイレはせっぱ詰まった大事な空間ですから。

同じ白井さんの建築でも、茨城キリスト教大学にサンタ・キアラ館というチャペル棟があり、そこの2階のトイレを見たときは、さすがになんらかの意図を感じないわけにはいきませんでした。

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昔のことで、なにぶんにも記憶がさだかではありませんが、少し小さめの四畳半くらいの部屋に洋便器が壁際にひとつ置いてあるだけで、そこにはトイレという機能を表した部屋名称がいらない、瞑想室のような、また別のたとえで言えば刑務所の独房のような空間がありました。

独房に入ったことはありませんが、たぶんそんな雰囲気でしょう。

現代人には日々の疲れた心を癒すためにも、そしてたまには深く物事を考えるためにも、このような空間は大切で、ついつい本を持ち込んだり、お気に入りを飾ったりなどしない、本当になにも無い潔い空間が大切ではないかと思います。

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100725軍艦マンション

太平洋戦争 が終わってもうすでに65年がたとうとしていますが、当時の悲惨な戦争を体験した人たちには、多くの年月をもってしても癒える事のない、苦しみや悲しみをいまだに抱えている方々もまだいるでしょう。

戦争末期の夏になるとアメリカ軍は、大型爆撃機だけではなく、ときには艦載機による空襲も、ほぼ毎日のように日本中の都市や軍事関連施設に対しておこないました。

今日7月25日は大分県の保戸島国民学校に、艦載機の爆弾が投下され、そのうちの一発により多数の犠牲者を出すという痛まし事件が起きた日で、日本全土では大戦中にその何億倍もの爆弾が落とされ、そして多くの目をそむけたくなるような光景があったはずです。

人はそのようにしておった心の傷を、死ぬまでしまっておこうと思う人がいるかと思えば、人に伝えるたり、何かのかたちに残すことによって、乗り越えようとする人もいるようです。

渡邉洋治さんは、ル・コルビジェさんの弟子でもあった、早稲田大学の吉阪隆正先生の研究室の助手から同大学の講師になった人で、その前はステンレスの製造会社の営繕部や大手設計事務所にいましたが、特に陸軍船舶兵としての戦争体験が、洋治さんの作風に大きく影響をしているように思われます。

新宿区の職安通り沿いにある、このマンションの鉄製のボックスモジュールや、それに開けられた小さな窓の連続、塔屋やそれに取り付く受水槽のデザインが軍艦や魚雷の発射管のように見えるのも、それを意図したものだからでしょう。

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  なぜかその魚雷発射管が早稲田大学の51号館に向けてありますが。

戦闘艦のイメージは、洋治さんの出身地の近くの善導寺の庫裏を見ればなおはっきりし、みぞれ混じりの荒れた天気の日にここを訪れれば、まるで荒れた海原をゆく空母か上陸用舟艇ではないかと錯覚します。

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ル・コルビジェさんは、「もの見ない目」という文章のなかで、「一つの家屋は、一つの住むための機械である」と書き、そこに客船の写真を多数載せました。

洋治さんは、もちろんそのことを知っていて、自分の戦争体験を何らかのかたちで昇華させよう思い、このようなデザインに至ったのかと思います。

ただの思いつきでは、こんなに迫力のある建物は出来ません。

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100717香港百年

ノーマン・フォスター さんは、イギリスを代表する建築家で、リチャード・ロジャースさんや、レンツオ・ピアノさんと共に、ハイテク建築と言われる、構造体を現しにして、それの完成度を高めたデザインによる建築により、常に世界中から注目をされ続けています。

1935年生まれのフォスターさんは、一時期バックミンスター・フラーさんのところで働いていたこともありますが、その後リチャード・ロジャースさんと「チーム4」という建築集団を作りました。

1967年に「フォスター・アソシエーツ」を設立した後は、イギリス国内では、

  センズベリー聴覚芸術センター
  ルノー配送センター
  ロンドンシティホール
  リバーサイドアパートメントアンドスタジオ
  スタンステッド空港ターミナルビル
  カナリーワーフ地下鉄駅
  ミレニアムブリッジ
  大英博物館グレートコート
  ロンドン大学インペリアルカレッジ・サー・アーサー・フレミングビル
  同ビジネススクール
  同学部棟
  同フラワービル
  HSBC・UK本社
  スイス再保険本社(通称ガーキン)などを。

そして海外では、

  香港上海銀行・香港本部ビル
  スペインのテレコミニュケーションタワー
  コメルツ銀行タワー
  香港国際空港ターミナルビル
  ドイツ連邦議会議事堂改修
  ベルリンの自由大学
  フランスのミヨー橋などなどなど・・・・・。

もう、このブログには、全部書けませんので、詳しく知りたい方は「フォスターアソシエイツ」のホームページをご覧ください。

       http://www.fosterandpartners.com

近頃は、環境問題も意識し、持続可能な社会のための建築に取り組んでいるとも、アナウンスしています。

そして、その功績によりプリッツカー賞やスターリング賞など数多くの賞を受賞したり、一代貴族の爵位を受けたりもして、社会的にも成功をした建築家と言われています。

ちなみに、リバーサイドアパートメントアンドスタジオは、「フォスター・アソシエーツ」の事務所で、ここのカフェテリアは、一般の人も利用できると聞きましたが間違っていたらごめんなさい。

住所は、Riverside 22 Hester Road London SW11 4AN United Kingdom です。


なかでも、フォスターさんの名前を有名にしたのは、1985年に完成した香港上海銀行・香港本部ビルでしょう。

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当時の香港は、1842年の南京条約により香港島が、1860年に北京条約により九龍半島南端がイギリスに割譲され、その後新界地区も含めて、1898年に香港領域拡大条約が結ばれ、99年間の租借が決まったという過去の歴史に終止符を打つ時が近づいていました。

約100年の間、香港の返還を待った中国に、イギリスは継続統治を要求しましたが、当時の小平さんは今後50年の間、香港で社会主義体制は実施しないと言い、香港の発展を今後とも約束し、返還が実現しました。

そのような、社会体制的に不安定な時代に、そのころ世界第3位の金融センターとしての香港の自信の表明として、香港上海銀行はすくなくても今後50年間、世界の指導的金融機関として必要なきびしい機能的、技術的条件を「フォスターアソシエイツ」に要求しましたが、彼らは今までに無い発想でそれを解決しました。

建物はできるだけ短い工期で、なおかつ最も高い品質を確保するために、設備モジュールから非常階段まで、可能な限りの部材が、ヨーロッパ、アメリカ、日本の工場でプレファブ化されて香港まで運ばれ、監理の大変な現場施工を極力減らす努力をしたそうです。

鉄骨の一部が工期に間に合わない時は、イギリスから、飛行機で運んだこともあったそうです。

各部材の設計開発には、積極的にメーカーの技術者に協力してもらい、設計スタッフの一員として一時的に雇い、現地で共同作業をおこないました。

また、2列に並んだ4本のマストによる鉄骨の吊り構造は、センター構造コアを不用にし、効率の高い空間利用を可能にしていると共に、外観上の大きなデザインの特徴を生み出しています。

そして、建物の最上部に取り付けられた、外壁のメンテナンスクレーンは砲台に据えられた大砲のようなデザインで、イオ・ミン・ペイさんの中国銀行タワーがとなりに完成してからは、そのタワーの隅部が上海銀行ビルに向けられていることが、「風水」上良くないとして、常に中国銀行に向けられたままだとも言われています。


中国の、香港返還を百年間待ち続け、将来の五十年を考えて計画を立てることが出来る時間の感覚は、中国四千年の歴史があるからで、私たち日本人にはとても真似ができないと思いたくなります。

でも、その長い時間の感覚は、人間が生物として誕生した何十億年にわたって醸成し続けてきたもので、皆さんの中にもあると思いますが、たまたま数十年ほどの間、それを忘れてしまう時が人類にはあるのかもしれませんね。

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100613群馬音楽センター

アントニン・レーモンド さんはチェコで生まれ、プラハ工科大学で建築を学んだ後に、アメリカへ渡り、フランク・ロイド・ライトさんの事務所に勤めましたが、1919年にライトさんの助手として帝国ホテルの設計アシスタントとして来日し、そのまま日本にとどまって、軽井沢聖ポール教会、リーダースダイジェスト東京支社、聖アンセルモ目黒教会、立教大学聖パウロ礼拝堂、南山大学など数多くのモダニズム建築や、前川圀男さん、吉村順三さん、ジョージ・ナカシマさんらの優秀な建築家を世に送り出しました。

この建物の設計者をレーモンドさんに指名したのは、井上房一郎さんで、早稲田大学へ進学後、芸術文化を学ぶためパリへ留学し、帰国後工芸運動に力をそそぎ、ドイツの建築家ブルーノ・タウトさんを迎えたり、群馬交響楽団や、群馬県立近代美術館の設立などに尽力した地元文化のパトロンで、井上工業のオーナーでもありました。

群馬県立近代美術館の設計を磯崎新さんにお願いしたのも、井上房一郎さんだといわれています。

終戦直後の1945年に誕生した高崎市民オーケストラは、少ない人数から出発し、練習の場所もままならない楽団でしたが、後に群響と名前は変わり、県内の学校を巡ってクラッシック音楽を楽しく子供達に聴かせる「移動音楽教室」などの活動をしていたことは1955年の「ここに泉あり」という映画で、全国に知られるようになりました。

群馬音楽センターは、群馬県で小中学校に通った子供でしたら必ず一度は体験する「移動音楽教室」で親しみのある、群馬交響楽団のための、本格的な演奏ホールをという声によって、一部を市民の寄付金でまかなわれた公共施設でした。

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そのようないきさつで建設される施設ですから、もちろん低予算の建物になりましたが、レーモンドさんはそれを十分に理解し、音楽センターの設計にあたり三つの方針を掲げました。

その第一に、「市民の寄付を使うのであるから、無駄を一切省き、長持ちして使える経済的なものであること」とあり、その結果として、構造と建築表現が一体となった、この美しい建物が出来たのではないかと推察されます。

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近頃の公共建築は、特に平成の大合併の前に駆け込みでつくられた一見豪華に見える建物は、レーモンドさんが考え、そして市民が夢見たこととは、大きな差があるように思えます。

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100605 M>L>XL

レム・コールハースさんはジャーナリストであり、そして脚本家でしたが、後にベッドフォード・スクエアにある英国建築協会付属建築学校(AAスクール)で、あらためて建築を学んだという異色の建築家です。

代表作は、ユーラリール、ボルドーの家、エデュカトリウム、マコーミック・トリビューン・キャンパス・センター、シアトル中央図書館などがあり、作風として特に決まったものがあるようにも見受けられませんが、作品はいつもアイデアに溢れていて話題になります。

ボルドーの家などは、コールハースさんにとっては小さな作品でしょうが、車いすで生活をしなければならないクライアントのために、部屋の床をそのままをエレベーターにして、階を上下に移動したり、本棚の本を取りやすい高さで床を止めたり出来る大変に斬新な住宅です。

日本でも、1991年に福岡でネクサスワールドのうちの1棟を設計しています。

コールハースさんの建築といえば2009年2月に、北京にある建設中の中国中央電視台の付属建物が、火災で全焼したのを思い出しますが、闇の中に火災の炎に浮かび上がる新本部建物は、SF映画を見ているようでした。

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「S,M,L,XL」は、1995年にブルース・マウさんと一緒に出版した1,000ページを超える厚い本で、普通の建築作品集ではなく、今までの足跡を網羅的に詰め込んだ、本のデザインとしても斬新なものでした。

この本では、それを大きさの順に並べ、そのうえに様々な面白い工夫をしたのでしたが、もちろんSよりもM、MよりもL、LよりもXLが大きいという関係です。

今までの建築作品のように、建築の種類別や年代別に編集されていないことが大変新鮮でしたが、このブログのタイトルのようにM>L>XLと、あえて不等号を入れた書名にして、各々のスケールの関係の再構築を、強調しても良かったのではないかと思いました。

たとえば、大きなビルを建てたことよりも、ひとつのフォントを創ることの方が、社会への貢献が大きいこともあるように、スケールだけが物事の基準ではありませんからね。

でも、場合によってはM>L>XLが真実のこともあります。

ローマ数字では、Mが1,000、Lが50、Xが10なので、このブログのタイトルは1000>50>40となりますから、ほらね、正解でしょう。

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100516武蔵はまだか!

巌流島で宮本武蔵を待つ佐々木小次郎が、思わず声にして言ったかはわかりませんが、同じ待つ事でも建築が立ち上がってゆき、その完成した姿を待つ事は今も昔も、洋の東西を問わず多くの人たちが楽しみにしている事のようです。

映画「三丁目の夕日」でも、東京タワーが少しづつ出来上がってゆくのを人々が楽しみにしているシーンがありましたし、最近では、634(ムサシ)メートルの東京スカイツリーが人気で、色々なホームページで建設中のタワーを公開しています。

しばらく前に、首都高の中央環状線を走っていた時に、遠くからですがこのタワーを見たときは、建築基準法で100尺(約30メートル)以上の建物が制限されていたために、高層ビルの全くなかった東京に300メートル以上もある大きな鉄骨の東京タワー見た時の驚きは、いかばかりかと思いました。

霞ヶ関ビルなどの高層ビルが建てられはじめたのは、基準法が改正された1964年以降のことで皇居の周辺や西新宿の淀橋浄水場の跡地などに高層ビル群が出来はじめ、今では都心の高層ビルも増えて、東京タワーでさえもビルに隠れてしまって、気をつけなければ見えなくなっていました。

1889年のパリ万国博覧会が開かれた頃には、写真技術も発達し、エッフェル塔が立ち上がってゆく過程を後世に残したいと言う気持ちがおこるのも当然のことで、そのエッフェル塔の建設過程の写真は、見たことのある人もいるでしょう。

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子供が生まれると、成長の様子を他の人たちに見てもらい、そして記録として残したいと思う気持ちに似ているような気がします。

高さのある建物は周りからよく見えるので分かり易いですが、低層の建物ではどこまで工事が進んでいるのか、外から見たのではわかりませんから、まれにですが、そのような場合は工事関係者が工夫をし、仮囲いにエッフェル塔の建設過程を画くなどして、街を通る人たちに建物の完成を楽しみにしてもらおうとした現場もありました。

下の写真はプリッツカー賞の時のブログでも名前を出した槇文彦さんが設計をした、千駄ヶ谷にある東京体育館の建設当時の外苑西通り沿いに面した仮囲いの写真ですが、無粋が当たり前のような工事現場が少しおしゃれな感じになるのは、さすがに建築家の目の付けどころですね。

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今では多くの現場で、今後の作業工程を掲示したり、あまりおしゃれではありませんが、仮囲いに木などの自然を描いたりしているのを見かけるようになりましたが、少なくとも公共の建築は一歩進んで、その建設過程を市民に見てもらって、建物への関心だけではなく、広く行政全般にも関心をもってもらい、自らも地方自治に参加している意識を醸成することがよいかと思っています。








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100508 プリッツカー賞を受賞したので

鬼石町多目的ホールは2004年に、群馬県の南部の山間の町に完成した公共の施設で、ホテルオーナーのプリッツカー一族が運営するハイアット財団からの賞を、今年受賞した建築ユニットSANAAの一人の妹島和世さんが設計した建物です。

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このプリッツカー賞の初代受賞者は、1979年、大御所のフィリップ・ジョンソンさんで、その後しばらくは、アメリカ大陸の建築家たちが名前を連ねましたが、1990年代以降は、ヨーロッパの建築家が多くなりました。

ちなみに、去年はスイスのペーター・ズントーさんで、日本人では妹島さんは、丹下健三さんや槇文彦さん、安藤忠雄さんに続き4人目というか4回目です。

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この建物は、仮称で、「おにし屋内広場」という名称の住民参加型と銘打ち、審査委員長を鈴木了二さんがつとめたコンペで出来た施設で、この名称からも、外の広場と建物をを区切らないというアイディアは自ずと出てくるように思われますし、妹島さんが考えたことは丸柱にすることによって空間から柱を消し、パラペットをアルミパネルで細く見せることによって、建物を意識出来ないように消し去って文字通り雨に濡れない広場を作ろうとしたことかと推測されます。

そのためには、ホールや体育館は地下に埋めてしまい、出来れば管理棟のトイレなども地下に埋めたかったのではないかと思われます。

昔から建築家が設計した建物は使いずらいとか、建設費やメンテナンスに費用がかかりすぎるといったことを言われますが、おそらくそれを知ったうえでの鬼石町の判断であったと思われます。

当時の、もちろん今もですが、群馬県では林業、製材業が先細りの状態で、山林の管理もままならない状態が続き、その解決策として県が一ヵ所に、原木市場、製材施設、乾燥施設、プレカット工場、集成材工場をまとめた木材コンビナートを計画し、その建設地がこの町に決定したのが2001年のことでした。

ところがこの計画もなかなか思ったように県内の業者が手を上げず、しばらく宙に浮いた状態が続き、2005年になってやっと栃木県の木材会社が、製材工場を建設することを正式に決定するといった流れの最中に計画された建物であることを考えると、出来るだけこの町の地域材に、世間の注目を集めたいという気持ちがあったのかも知れません。

このコンペでは最初から地元の鬼石杉を利用してほしいという条件があったため、ホールと体育館の構造に杉とスチールの複合梁システムを使用したそうですが、天井を見上げただけでは、どのような構造になっているのかわからず、木材のみで構成された梁のように見えます。

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ただ残念なのは、これが地元の杉であることが一般の人にどれだけ伝わっているかということですが、これは建築家の責任ではないと思います。

多目的ホールのすぐ近くには、LVL(構造用単板積層材)を使用した木質ラーメン構造の町営住宅が建っていて、構造矩体は輸入材ですが、内装材に国内産の杉を使用しています。

いずれにせよ、公共の建築は、それが出来た時代の様々な条件、又は制約の中から設計者が最良の解を導きだしたものであるといえましょうから、多数の応募の中から選ばれた、妹島さんの案は木材振興といったひとつの側面からだけではなく、それを選んだ人たちのもっと広い視点からの目に、他の案より秀でた光るものがあったのでしょう。

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建築家を選んで建築を造るということで、それにかかわる住民達の意識は大きく変わるのではないかと思います。

普通の当たりさわりの無い建物であれば、こんなものかと思いながら空調の効き具合や階段の登り降りのしやすさを気にして利用するくらいかも知れませんが、建築家といわれる人たちが設計した建物は、ある時は心地よく、ある時は多少の不愉快さで、それにかかわる人達の気持を刺激するでしょう。

その刺激が、人々に新しいものの見方や、大げさに言えば世界観というものを示すことが出来れば、それは大変喜ばしいことだと思いますし、また公共建築だけではなく、住宅を含めたすべての建築がそうであればよいと思います。

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100404 最上川ふるさと公園センターハウス

最上川ふるさと公園センターハウス は、前から見たいと思っていた建物で、山形自動車道の寒河江サービスエリアと都市公園等を一体的に整備したハイウェイオアシスと呼ばれる県営の公園内に有り、丘になってゆっくりとした登りのアプローチを行くとそこは2階で、全て吹き抜けになった1階をすぐ見ることが出来ます。

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桜の花にはまだ早かったのですが、山形盆地を囲む山々には雪が残り、皿を伏せた形の月山は真っ白に横たわり、すぐそれとわかる百名山のひとつです。

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昼間は用事があるため、朝の早い時間に訪れたので辺りに人気がなく中にも入れず、時折犬の散歩をさせる人が通るばかりでした。

月山へのオマージュのような三日月形をした建物は屋根を含めて全てをガラスで覆われ、2階のアプローチ付近の高くなった壁面から片流れに下がる屋根面は、三日月の内側の円弧(見た目には外側は放物線で内側は円形で、そしてそれをずらしたように見えるが如何に)のところで低い水平にのびた庇を作っています。

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それは公園のなかにあっても、周囲への威圧感を極力減らすための結果であろうし、東に向いた建物を朝の光で見れば、屋根は反射で鏡のように光り、逆に西側のアプローチから見れば光をすかして骨組みだけが見え、昼を過ぎるとそれが逆になるであろうことからもそう推察されます。

設計は、内藤廣さんであり、鉄、木、コンクリートなどの同じ形の合理的な美しい小屋組を反復させた建物が多いが、ここでは全ての梁材の長さが違うように見えるが、電脳の力を借りれば苦にならないのかも知れません。

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昔、大谷幸夫さんが設計をした、文京区立体育館の複雑な鉄筋コンクリートの現場監理をした人の苦労話を思い出し、電脳利用設計が建物の形を変え、そのような建物をぜひ造りたいと思う人が、公案を容易に解くための道具として利用出来る便利な時代だと思いました。



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